最早「一日一記事」を旨としてこのブログを続けていくことは不可能である。
何だかんだで空けてしまった数週間分の記事を書こうとしたら
きっと俺の脳ミソはエマージェンシーイグジットをしちまう。
ボシュッとかいう小気味良い音と同時に地面と垂直に飛び上がる俺の脳ミソ。
想像するだにエグい。
というわけでまたしても不定期更新に陥ってしまったのだが、
開き直って書かないよりはまだマシなのではないだろうか。
ニュージーランド地震にて。
日本人の死者数を予想してギャンブルをしているヤツがいるという話を
週刊新潮か何かで目にした。
侮蔑の言葉をどれだけ並べ立てようと心穏かになることはない。
不謹慎だとか、人間のクズだとか、そんな生温い言葉じゃなくて、
まだ誰も考え付いたことのない、その言葉を浴びせられたら
苦悶の上に全身の毛がバサバサと抜けて、毛穴から血を噴き出しながら死ぬレベルの
そんな言葉を浴びせかけて、ようやく心のバランスが取れそうなぐらいだ。
それって魔法じゃないかしらん。ザキ系の。
悲劇は当事者以外にとっては喜劇になりうると思うのだ。
あまりにも凄惨すぎる光景がテレビ画面に映り、
途方に暮れる人や嗚咽を漏らす人や、諦観の表情で立ち尽くす人。
立場が弱い者を笑うという行為は、人が生きていく上で必然で、
そうでなければきっと心は折れてしまうだろう。
良い悪いじゃなくて、そういう「現象」なのだ。
だけど、だからこそ理性を持っているホモ・サピエンスは
笑っていい状況かそうでないかを判断すべきなのに、
見境なくすべてを祭りにするヤツがいる。
解っていて祭りにしてしまうヤツもいれば、
その気がなくても祭りに加担しちゃってるヤツもいる。
東北の地震にしたってそうじゃないのか。
真偽の曖昧な情報がネットにはあふれている。
さすがに現状の被災地に単身で乗り込んでいって
何かしようなんてヤツはいないだろうけど、
今、単なるパンピーが行ったところで被災者が一人増えるだけだろう。
阪神大震災の時にボランティアの女性が強姦された事例もあれば
逆にボランティアが輸送ルートを塞いで物資が流通しなかった事例もある。
プロである自衛隊と消防が必死にやってくれているのだ。
ボランティアの活動する余地はもう少し後だと思う。
援助の気持ちは持って然るべき。
だけど、とにかく何でもかんでもじゃなくて
本当にそれが必要なのか、冷静に見極めることも同時にしないと
それは援助じゃなくて「祭り」になっちまうわな。
と思ったのでした。