巷では流行っているらしい。
「○○、なう」
あまりにも目に付くようになった最近、
「なう」という文字を見るだけで、心の奥底で
「オイオイいい加減にしちくり」
というような思いが頭をもたげてくる。
何故だ何故だと自問した。
単純に流行に乗るのカッコワリィみたいな
男子高校生のような恥かしい自意識が邪魔しているのかしら
思い切って俺も「便座でキバり中、なう☆」とか言っちゃったら
案外心安らかになるのかもしれん
そんなことを考えてみたのだが、
案外それだけという訳ではないらしいと思い至った。
「○○、なう」
という言葉は、自分の現況を記す時に使う機会が多いはずである。
何人もの人が「○○、なう」と呟いているのを見て、
「そんな時間刻みでテメェの近況知りたくねぇよ!」
と思ってしまうのだ。
きっと俺だけではあるまいと思うのだ。
周囲があまりにもナウナウ言いまくるものだから、
ついつい「や、実はあれ嫌いっつか好きじゃないのよねぇ」
と言い出せず、日々悶々とストレスを溜め込んでいる人もいるはずだ!
いない・・・かなぁ。いてほしいなぁ。。。
さぁどうすればいい。
ブログの管理者ページを開くとき、最近常に思う事である。
普通、年末といえば何かとネタには困らないはずである。
今年の総決算だとか来年の抱負だとか、訊いてもいないのに
ベラベラと勝手に喋くる奴は秋の豊漁サンマが如くである。
何も書けない奴が他人を貶めてどうするというのだろう。
そんなわけで去年の話を。
一人暮らしをしていた去年。会社を辞めてから2ヶ月。
ライヴハウスでの仕事を始めて数日である。
元々雀の涙ほどしかなかった貯蓄は底を尽き、
日々、白米と味噌汁という侍のような食生活。
四六時中腹が減っている状況というのは、
人間の心を凄まじい勢いで後ろ向きにさせていくものである。
当時は後ろ向きすぎて笑えてしまうくらいだった。
そんな生活をしていて、尚且つクリスマス近辺には
体調不良が原因の脱糞を路上でしている。
体調不良の原因は即ちこれ食生活の貧しさである。
そんな何の光明もない年越し。
まったく知らないバンドがヒャイヒャイ言いながら
カウントダウンライヴを楽しくやっているのを
ブースのこちら側で眺めながら、
あぁ、こんな人生続いたら嫌だな。
と、割と本気で思ってしまったことがある。
今年は・・・何も考えてない。
寧ろそっちのほうが悪いんじゃないかと思うが、
まぁ・・・いいや。
実は年も明けているというのに去年にさかのぼって書く。
今現在は2011年1月1日0:30である。
とまぁ、年明けだとかそういうのは放っておいて。
まぁいつものようにネタが無い。
無い所から引っ張って来て書いていたのだが、
それも最早限界に近い。
言うなればスゲェ頑張ったウルトラマンが如く。
ピコンピコンとカラータイマーが警報音を発し、
足元には辛うじて倒した怪獣の骸。
彼は空を一瞥し、掛け声と同時に飛び立つのだ。
つまるところ、ネタが無くなったら空へ飛び立つように
どこかへ消えるのが筋というものなのだが、
このブログはどうあってもウルトラマンを飛び立たせてはくれないらしい。
いや、そもそもが俺はウルトラマンのような絶大なポテンシャルが無い。
ふと思ったのだが、ウルトラマンは敵を倒した後
どこへ飛び去っていくのだろうか。
敵を倒す時にハヤタ隊員のカプセルによって呼び出され
(これまたどこから出てくるのだろうか)
敵を倒してから飛び立つ先も不明である。
彼は一体どこにいるのだろうか。
そんな不思議を投げかけておいて、今日はお仕舞。
投げっぱなし何とか。
会社員ではないので、年末年始といっても仕事は変わらず詰め込まれる。
といってもアルバイターだからこそ融通は利くので、気楽といえばそうともいえる。
世間では仕事納めという人々が電車に大量のお土産を残しつつ、
今年の人生の総決算を腹の中で計算しているのだ。
最近は電車に乗る機会もあまりないので、
毎年この時期に世間がどういう状況になるのかというのを
肌で感じる機会があまりなかったのだが、
年末は何かと飲みに誘ってくれる方々がいらっさるので
電車にも何度か乗っている。
大学や会社とは違い、普段身を置いている環境は
それほど大人数に囲まれている訳ではないので、
もちろん女の子を目にする機会もあまりない。
それが電車に乗るとどうだ。
最近の女の子はとても可愛い。
そんな可愛い子が同じ車両にいたりするともう
なんだかソワソワしてしまうのだ。
特に夜の千葉県あたりは電車が空いているので、
次第に混んでくる電車内でなんというか・・・
いや、これ以上は言うまい。
東京に住んでいたころは友人と飲むのもそんなに難儀ではなかったのだが、
千葉県にいると片道だけで1000円いっちゃったりするので、
何というか昔を思い出して悔しい思いに駆られることもあるのだが、
そんな面倒な場所に住んでいても飲みに誘ってくれる方々に感謝を述べつつ
今日はホント書くことねぇなあと思いながら、沈。
何が嫌って冬の寒さである。
友人が言っていたのだが、ユニクロのヒートテックのCM。
外国でバイクに乗る男の着衣がダウンジャケットとヒートテックのみという状況。
これはもう頭がおかしいのか、苦行をしているとしか思えないそうだ。
ヒートテックがいくら新素材で衝撃的な機能を備えているとはいえ、
あくまでも日常生活レベルでの防寒だと。俺もそう思う。
マイナスんー十度とかの中をバイクで走るってことは体感気温は想像したくもない。
そんな所でいくらダウンを着ていてもヒートテックだけじゃ
きっとチン玉縮み上がって二度と再生しない気がするのだ。
そんなこんなで、上記の写真のような(絵かもしれない)
すごく寒そうな感じの今日このごろなのだが、
忘年会に呼ばれることもある。そうなると夕方から夜にかけてが
外出の時間帯になるので、ちょうど陽が沈んで気温が下がってきたころに
さみぃさみぃとガタガタしながら自転車に乗るのだが、
朝帰りの寒さもこれまた格別である。格別って別に好きなわけじゃない。
むしろ嫌いなほうである。冒頭にも書いたとおり。
朝日が照って徐々に暖かくなってきているものの、
いまだ夜のうちに熱を放射した地面はまるで凍っているかのごとく冷たく、
周囲はまるで電柱から街路樹から信号から生垣から家々に至るまで、
何もかもが氷細工で出来ているのではないかと思うくらいの冷気を発する。
暑いのはそこそこ我慢できるが、寒いのは生命的な危機を感じてしまうので、
この時期は地球から遠のいている太陽を恨まずにはいられない。
と同時に、ちょっと離れたくらいでこの変わりようってことは
太陽って相当すげえんだなぁなんて小学生みたいな顔してボンヤリ空を眺めるのだ。
太陽はすげえ。
忘年会というものがある。
「年忘れ」というワードもあることだし、
新年をマッサラな状態で迎えるガイズ&ギャルズ達は
一年を忘れるべく、全開のテンションで飲むのだ。
一年を忘れるってのはそりゃもう途轍もないエナジーが必要である。
そりゃ終電で滝のようにゲロを吐きまくることになるのだ。
限界を超えたパフォーマンスに体が付いていけずに
後で波が引くようにグッタリしちゃう。
ともあれ。
大学の時には毎日のように飲んでいたので、
忘年会どころか忘日会のノリである。
いや、実際忘日会の方がいいのだ。
冒頭に書いたとおり、忘年会というのは
体に多大なダメージを与える。
そりゃ少年漫画の主人公の必殺技がごとく。
「但し、この技は寿命を削って発動する」
みたいな。
忘日会ならばそんな大層なエナジーは必要ない。
一日を忘れるくらいならサクッと飲みゃいいだけである。
しかも一年間も貯めなくてもいいのだ。
一日ごとにリセット。毎日をマッサラで。
昨日倒れた旅人達も生まれ変わって歩き出す的な。
すばらしきかな、忘日会。
つまるところ、毎日飲みたいねということだ。
世間はクリスマスである。
勢い、クリスマス当日よりも前日のイヴの方が
チヤホヤされている気がする。
祭りも旅行も、当日よりも準備をしている時の方が楽しい。
寧ろ一番テンションが上がるのは前日の0時くらいなのではないだろうか。
だからイヴがヨイショされるのも解らないではない。
が、我が家にとってはクリスマスとは即ち父の誕生日である。
毎年、何かしらせねばと思いつつも、結局何をすればいいのかわからないので
流れるように過ぎていってしまうのだ。
今年はイカンと思い、一念発起したのである。
小さいころにゴルフ用の革グローブを贈ったが、
身内の趣味というか貰って喜ばれそうな物というのは
なかなかどうして想像がつかないもので、
いい年になって考えてみてもよくわからない。
さて困ったと思いつつ物色していたのだが、
結局ウィスキーに落ち着いたのだった。
酒を誕生日に贈るというのは
どことなく大人な感じがするものである。
よし贈るぞと思って選んだのではなく、
これでいいのかなぁと思いつつほぼ無意識に酒を選んだということは
もしかしたら少しは大人になれたのかなぁと思いつつ。
贈った酒はそこまで良いものではないから、
そんな大人ではないのかもね。
金曜ロードショーのオープニング映像とか
衛星洋画劇場のオープニングとか
子供の頃はとてもワクワクする映像だった。
何かこう、未だ経験したことのない世界へと向かうトロッコが
真っ暗な坑道をゴロゴロと、明るいトコロに向けてゆっくり進んでいくような。
期待と不安が入り交じったような気分になる。
礼服を着たオジサンが映写機をクルクル回していたり
緑や赤に変わるソファがグルグル回って、四隅でカウントダウンしてたり。
波止場で夕陽を眺める少年とか
なんともこう心躍る映像である。
その後に流れる映画がたとえC級以下のクソ映画だったとしても
その前の導入はすばらしいと思えたのだ。
そんなこんなで。先日ゲームを買ったCD屋みたいな雑貨屋で
The Lord Of The RingsのDVDを買った。
第一部の「旅の仲間」と第二部「二つの塔」は映画館で観たのだが、
当時の逼迫した金銭状況では第三部「王の帰還」を観ることはできなかったのだ。
邦題を「指輪物語」という原作は、おそらく欧米では
殆どの子供が親から買い与えられて読んでいる小説なのだろう。
作者のトールキンの「神話」にかける想いは並大抵のものではない。
作中に出てくる「中つ国」という地域における文明の勃興から
実に数千年にいたる架空の歴史を一から作り上げ、
果ては多種多様な言語にいたるまでしっかりと作りこんでいる。
まるで地球以外の世界へ旅立って、そこの歴史書をそのまま持ち帰ってきたような
そんな物語群なのだ。
詳細にわたる描写は読者の脳内に架空であるはずの世界を
完璧に再現させる。
そんなすげぇ原作が想像を超えるクオリティで映画化されているのだ。
全部観ないと今世紀に生きた人間として損をしていると思った。
長時間の映画を3本もぶっつづけで観るとさすがに頭痛がしたけれど、
やっぱりすごい。いやーすごい。
観た事ない人は是非!!
俺が働いている店の便所は和式である。
鬼気迫る表情で便所に駆け込んで行く客を見ると、可哀想になる。
一仕事終えたような、尋常ならざる疲労感を顔に滲ませて出てくる客を見ると
更に可哀想になる。
和式便所というのは何故、あんなにも苦難を強いる形状なのだろうか。
もやしもんのデブの方ではないけれど、デブが中腰でキバるという行為は
およそ凡人が想像しうる苦痛を超えたものがある。
しかも下半身裸なのだ。エライこっちゃである。
会社にいた頃に研修で行った国際展示場にも、確か和式があったのだ。
「国際」とアタマに付いているからといって、あんな苦行を強いられる
和式便所をわざわざ設置せずともいいとおもうのだ。
誰しもが排泄の際には心落ち着かせて、ため息とともに幸せな一時を過ごしたいと
そう思うはずなのだ。
全国の便所が洋式になれば。俺はいつでもそう願ってやまない。
ところで、この和式・洋式便所の話は何度かした覚えがある。
もうブログを初めて何年になるのだろう。総記事数は602件。
このどうしようもない駄文も含めれば603件になる。
そりゃこんだけやっていればネタ被ってもしかたない。
ちなみに「ネタが被る」というネタもおそらく被っているのだろう。
そしてその「ネタがかぶる」というネタはおそらく漫画「さよなら絶望先生」で
久米田さんが書いていたりしたはずである。
げに世は恐ろしきかな。
繰り返しというのはここまで人間を堕落させるものなのか。
が、新しい刺激というのは常にあっても仕方ない。
そんな事を思いつつ今日はオシマイ。
買ってしまった。
何をってゲームである。何のゲームって今をときめくアレである。
Monster Hunter Portable 3rd
買うまい買うまいと思っていたにも関わらず、
気がついたら買っていた。きっかけは小さな自尊心と優越感である。
近所のCD屋に行った時のことである。
田舎のCD屋というのは、本当に色々なものを売っていたりする。
都会のCD屋でさえ、CDの他にも漫画やDVDを売っていたりする。
あまつさえメディアに全く関係ない駄菓子なんか売っていたりするのだ。
そのCD屋もご他聞に漏れず、CD・ゲーム・DVD・駄菓子
それに加えて古着だの何だのと色々売っていた。最早雑貨屋レベル。
そんな料理初心者が作った「ごった煮」のような
(「「ごった」って言うくらいだから何でも入れていいんでしょ!?」みたいなアレ)
そんな店内、レジカウンターの前に何世代か前に全盛だったテレビデオが設置されており、
テレビデオを乗せたテーブルの上には仰々しいポップと共に
「Monster Hunter 3rd」の文字。
あぁコレが例の超有名タイトルか、と思いつつ、テレビデオの画面に映された
プロモーション映像を例によって死んだ魚の目でぼんやり眺めていたのだが、
そんな俺の脇っちょに少年が現れたのだ。
ごった煮状態の店内の隅にはカードゲーム用のテーブルが何台かあるので
そこで遊んでいた子供なのだろう。ひょこひょこと寄ってきて、
輝かんばかりの目で俺と同じくテレビデオの画面をじっと見ている。
やっぱり子供はこういうの喉から手が出るほど欲しいのだろうな
と思っていると、その子供の父親らしき人物が子供の傍らに立った。
子供はここぞとばかりに「アレ買ってくれたら宿題がんばる」的な
そんな要求を父親に対して連発しているのだが、父親は取り付く島もない。
ここで一つ確認なのだが、俺は子供が大嫌いである。
伊武雅刀の「子供たちを責めないで」を真顔で鑑賞できるくらい嫌いである。
そんな大嫌いな子供が欲しがって手に入れられないゲーム。
そして俺の財布にはゲームを買っても痛くない程度の金。
俺は脇っちょでわめき続ける子供をジロリと一瞥すると、
わざとゆっくりと見せ付けるようにパッケージを手に取り、
カウンターへ持っていった。
悔しかったらお前も気軽にゲームが買えるくらいの大人になるがいい
背中でそう語りつつ、会計を済ませて外に出る。そこで気がついた。
なんという汚い大人になってしまったのだろう。
でもいいの。やっぱりモンハン楽しいの。
でも俺の身の回りにはモンハンやる人間は少ないので
きっと今回もソロ狩りの限界に挑戦する鬼のように過酷なゲームライフになるのだろう。
・・・続くかなぁ。。