少し前、「ヒトは何故、芸術行為を行うのか」というコトについてサークルの人達と酒を交えて語り合ってみた。
総意としては、「衣食住の全てが揃っていて、生活にゆとりが出来た時に創造意欲も湧いてくるんじゃない?」という意見。
けど僕はどうも納得できない。
そりゃ、昔の(石器時代とかね)人達は、そんな感じで壁画を描いていたのかもしれない。けど、中世から少しずつ「芸術」を職業にする人が出てきた。僕が思うに、そこで「芸術」はその存在意義を変え、その行為に付随する哲学みたいなものが生まれたんじゃないかと。
昔は、芸術家も、思想家も、科学者も医者もみんな一人の人間が兼業していた。多分その時芸術に「ヒトが生きる為のメッセージ性」が要素として加わったと思う。それまでは単なる「意思」を伝達する手段として用いられてきた行為が、「人生」を考える人達の手に依って「芸術」に変えられたんじゃないか。
僕はそう思う。
だから、現代では衣食住揃っていなくても「芸術行為」をする人は沢山いる。明日の生活も危うい様な人達が、自分達の境遇を一つの曲にしたり、一枚の絵にしたり、一体の像にしたり。
それに触れた僕達は、「人生」というモノゴトの、自分達から見えない部分に光を当てられてハッとする。
今も昔もきっと、芸術は万人の為のものであり、個人を救う為のものでもある。けど、ヒトがなぜその行為をするかは、きっと今ではその行為をする人それぞれの理由があると思う。
僕は僕を救う為にロックします。
総意としては、「衣食住の全てが揃っていて、生活にゆとりが出来た時に創造意欲も湧いてくるんじゃない?」という意見。
けど僕はどうも納得できない。
そりゃ、昔の(石器時代とかね)人達は、そんな感じで壁画を描いていたのかもしれない。けど、中世から少しずつ「芸術」を職業にする人が出てきた。僕が思うに、そこで「芸術」はその存在意義を変え、その行為に付随する哲学みたいなものが生まれたんじゃないかと。
昔は、芸術家も、思想家も、科学者も医者もみんな一人の人間が兼業していた。多分その時芸術に「ヒトが生きる為のメッセージ性」が要素として加わったと思う。それまでは単なる「意思」を伝達する手段として用いられてきた行為が、「人生」を考える人達の手に依って「芸術」に変えられたんじゃないか。
僕はそう思う。
だから、現代では衣食住揃っていなくても「芸術行為」をする人は沢山いる。明日の生活も危うい様な人達が、自分達の境遇を一つの曲にしたり、一枚の絵にしたり、一体の像にしたり。
それに触れた僕達は、「人生」というモノゴトの、自分達から見えない部分に光を当てられてハッとする。
今も昔もきっと、芸術は万人の為のものであり、個人を救う為のものでもある。けど、ヒトがなぜその行為をするかは、きっと今ではその行為をする人それぞれの理由があると思う。
僕は僕を救う為にロックします。
一昨日、バイトが終わった後に学校近くまで戻ってきて飲んだくれた。飲みの席でイタイ突っ込みを頂きまして・・・。タイトルのスペル直しときました。現役大学生がcoffeeのスペルも解らんとは。。。
ここ最近、やることなすことどうも「自分」らしくない。周りから見れば大した変化はないのだろうけど。というより、自分でも何がどれだけ変化したのかなんて解らないんだが。
昔から、人に相談するというコトを何より嫌がっていたんだけど、最近は解らないコトが多すぎて、ついついソレを経験した事がある人の意見を聞いて、それに左右されてしまう。
そんな自分が非常に腹立たしい。
という訳で、これからフラストレーションフリーに生活しようと思います。必要だと思ったら勝手にやるさ。このまま彼らの意見の通りに動いてたら、そのうち彼らが嫌いになっちまいそうだ。それは悲しい。人に頼るのは、本当に必要な時だけにします。
自分でしっかりしなきゃ。他に誰が僕をしっかりさせてくれるっていうんだい?
新宿には雨がよく似合う。豪雨ではなくて、ゆっくりと降る小雨が似合う。
昨日の夕方から夜通し飲み続けて、曇る空の下で家路についた。
新宿で乗り換えなければならない。朝早くから全くヤル気の無い間抜けた顔で、僕は電車に乗る。新宿なんて街は大嫌いだ。お互い興味を抱く事の無い人間がこうも大量に集まって、意味があるんだか無いんだか、そもそも意味なんて必要なモノなのかも僕には理解し難い行動を毎日毎日繰り返ししている。
誰が何をしていようと、それが素晴しい事なのかどうかなんて誰が決められるんだろう?規格の違う価値に圧倒的に互換性の無い計測器をあてて・・・。
僕が好きな漫画『イエスタディをうたって』の中で、絵画の専門学校に通っている高校生が「芸術」についてこう言っていた。
「声の大きな人が、『これは芸術です』と言えば、みんなそう思うんじゃないかな?」
やっぱり僕らはあまりにも、あまりにも無知すぎる。そしてあまりにも弱い。
けれども彼は、続けてこう言った。
「僕は絵を描いていても、芸術をやってるなんて思わないよ。」
「芸術」というコトバさえも、今はモノサシになってしまった。
見えざるモノサシを感じる事ができなければ、あるいは人生は緩慢なものなのかもしれない。
僕らは無知で、弱くて、それでいて素晴しいのだと思う。
何事も良い面と悪い面があるように。
昨日の夕方から夜通し飲み続けて、曇る空の下で家路についた。
新宿で乗り換えなければならない。朝早くから全くヤル気の無い間抜けた顔で、僕は電車に乗る。新宿なんて街は大嫌いだ。お互い興味を抱く事の無い人間がこうも大量に集まって、意味があるんだか無いんだか、そもそも意味なんて必要なモノなのかも僕には理解し難い行動を毎日毎日繰り返ししている。
誰が何をしていようと、それが素晴しい事なのかどうかなんて誰が決められるんだろう?規格の違う価値に圧倒的に互換性の無い計測器をあてて・・・。
僕が好きな漫画『イエスタディをうたって』の中で、絵画の専門学校に通っている高校生が「芸術」についてこう言っていた。
「声の大きな人が、『これは芸術です』と言えば、みんなそう思うんじゃないかな?」
やっぱり僕らはあまりにも、あまりにも無知すぎる。そしてあまりにも弱い。
けれども彼は、続けてこう言った。
「僕は絵を描いていても、芸術をやってるなんて思わないよ。」
「芸術」というコトバさえも、今はモノサシになってしまった。
見えざるモノサシを感じる事ができなければ、あるいは人生は緩慢なものなのかもしれない。
僕らは無知で、弱くて、それでいて素晴しいのだと思う。
何事も良い面と悪い面があるように。