数年に及ぶスマホへの機種変要請をようやく受諾して頂き、
不肖の息子としては非常にありがたいものがある。
例によって電子機器の扱いはそこまで上手ではないので、
メールの打ち方を教えていた時、
わたしの名前を一文字ずつ、慣れない手つきで丁寧に打つ姿を見て、
一瞬で色々な感情が頭をよぎった。
わたしが産まれた時にどういう気持ちを込めて名付けてくれたのか。
何十年間もわたしの名前を読んだり呼んだり書いたりする時、
色んなことがあったけれど、どんな事を思っていたのか。
これまで沢山の心労をかけて、わたしは何か一つでも報いれた事があったのだろうか。
この先、何度わたしの名前を読んで、読んで、書いてくれるのか。
わたしは今までそれに対してちゃんと返せていたのか。
込み上げてくるものをグッと堪えたけれど、一つだけ思ったことがある。
メールの返事、ちゃんとしよう。
一昨日、我が家の駄犬ことムーが亡くなった。
ちょうど我が家に来た時のブログを探し出したら、2020年の3月26日だった。
1月産まれだから、14歳。人間で言えば70後半〜80代だそうだ。
頸椎ヘルニアで首から下が麻痺して、
呼吸出来なくなってしまったのが原因だそうだけど、
当日の朝まで走り回って散歩してたのが急にだったようだ。
シェリーの時と違って、死に目には立ち会えなかった。
あの時、もし入院させていたら延命したかもという気持ちが親にはあったんだろう。
自宅に連れ帰るよう獣医は勧めたが、望みを持って酸素ボンベに繋ぎ、
一人きりにさせてしまった。
翌朝、病院スタッフに看取られながら亡くなって、
我々が対面した時にはまだ身体は暖かかった。
最後まで、頑張ろうとしてくれたんだろう。
色んな感情が無い混ぜになって、思考がまとまらない。
平気だと思えば、崩れ落ちて泣き叫びたくなる瞬間もある。
焼き場から連れ帰ったムーは、最初ウチに来た時と同じくらいのサイズになってて、
錯覚なんだろうけども、腕に抱いた骨壷から体温が感じられた。
文章にすると虚飾する癖が俺にはあるから、
これ以上書けないけど、
今はとにかく寂しい。リビングや自室、廊下、
マンションの周辺、たまに遠出して散歩した道。
14年間、家にいなかった事もあったけど、
ケツの青い大学生の俺は35歳のおじさんになった。まだケツは青いまま。
ムーは、ずっと味方でいてくれた。今の俺を作っている要素だ。
「虹の橋」って詩があるけど、道草食って俺らを待ってないでいいから、
早く天国行って、次産まれる時は病気なんかしないヤツになってくれ。
俺は忘れる生き物だから、混乱してて下手くそだけど、備忘録代わりに記しておく。
みなさまもうご存知の通りなのだと思うが、
大抵はワタシ酔っ払っとる方だもので、
素面で酔っ払いと対面する時は往々にして面食らいまくる。
ただなにぶん機会が少ないので、稀にそういう場面に出くわすと
とんでも無く苛々してしまうのだ。
ついこの間、職場の送別会があったのだが、
ワタシ仕事後なおかつ翌日が生まれて初めての人間ドッグだったもので、
酒の類を摂取出来ず、挨拶だけして帰る腹づもりで顔出したのだが、
いや余談なんですが、人間ドッグてあれ凄いですね。
今までの健康診断って何だったんだって思うくらい色んな検査されるし、
終わった後も色々大変だったんですよこれ。
また後日書き残そうと思います。
で、まぁベロベロに酔っ払った上司方が
居酒屋から出てくるのを待って挨拶するんですが、
もうなんだろう、酷くめんどくさい。
スキンシップのレベルを軽く超えるパワーで背中バシバシ叩かれ、
アルコールの匂いブン回しながら大声で話し、
用事あるからスッと帰りたいのに、なんか無茶振りをされ、
それはもうゲンナリしながら帰路に就くのである。
普段ワタシこんな感じなんだろうかと、帰りの電車でしこたま反省した次第である。
もういい歳なんだから、荒れる飲み方しないように心掛けよう。
理想は河島英五「時代おくれ」に出てくる渋めのオヤジである。
]]>このところホントに物忘れが激しい。
業務を大量に抱えている事もあるが、ふとした瞬間に託された
どうでもいい些事を一瞬で忘れる。
我ながら怖ろしくて仕方ない。
脳ミソのシワなくなってツルッツルになっとんじゃないかと思う。
昔はココに書き込む際にネタ帳じゃないけれど、
何がしかのメモを残そうと思っていたのだが、
結局書かなかった。
いま、もう一度ちゃんと書き残そうと思った先々週辺りから
iPhoneのメモアプリをフルに活用している。
ふとした瞬間に思った事をすぐ忘れちゃうから、
何かあったら直ぐにメモアプリを開いてシコシコ書き込んでいるのである。
いま既に15のネタがある。インスパイアの素のネタだから
一行で済むメモだが、振り返ってみると自分の脳ミソ信頼してなさ加減が
有り有りと見て取れて、なんだか空恐ろしい。
仕事場の休憩室に自動販売機があるのだが、
そこで買った飲み物を
自販機の下のあのガッコン!って出て来るトコに忘れたまま
隣のコンビニへ煙草吸いに行っちゃって、
灯点けた瞬間に思い出すのだ。
「あ、また自販機に忘れてきた」
何度も何度も繰り返している。
買った瞬間まで憶えているのに、煙草とライター持った瞬間に忘れている。
怖ろしくて仕方ない。
因みにこのネタがネタメモの一番上にあるヤツ。
ただこれどうしようもないのだ。
忘れちゃってるもんはもうどうしようもない。
回収出来てんだからいーじゃん、結果オーライなんだったら好し!
…よいのか?
こっからはマジで惰性で書きます。
人間は忘れる生き物だと言うから、生きてて忘れたい嫌な事とか
憶えててもどーしょもない事柄なんか忘却の彼方へフライアウェイでしょう。
でもドリンクはどーなのよ。まぁいっか。
惰性ってつづかねぇなぁ
]]>出勤日、稀に早起き出来る日がありまして。
家でボヤンとしとるのも勿体ないし、
行き掛けにカフェでも寄って電子版の日経読むフリしつつ
まとめサイト閲覧する不真面目社会人やる訳ですよ。
でまぁワタシ煙草吸うわけで、喫煙席にカフェラテ片手に存在しとるんですが、
先日はちょっと景色が違いまして。
隣席に座ってきた4,50代ほどの男性、咥え煙草でしきりに自分の身体をまさぐっとる。
なんだ朝っぱらから発情期かこのおっさんは
なんてこちらもおっさんなのは置いといてチラリ一瞥くれたら
タイミングって摩訶不思議、バチリコと音が鳴るくらい目が合いまして、
もうそれはそれは情け無ぁ〜い表情で
「ライター、アリマスカ?」
いやいやおいおい。よく見りゃ外の人の方ですよ。
往年のダニエルカールにクリソツな親父さん、
咥えた煙草がショートホープってことは、
直管好きのフランス人か?
フランス人の名前にもダニエルってあったっけなんて思いながら、
鞄に手を突っ込んで¥100ライターを探り出し、
「余ってるんで使ってください」
120%の営業スマイルでお渡し。
ところがダニエル、掌をこちらに向けてますます情けない面をする。
眉毛なんかへの字通り越して地面に垂直になりそうな勢い。
うん、これは言い過ぎた。
ともかくあちらから灯を欲しがった癖にやたら固辞しやがる。
何よ何よと思いつつ、こちらもやると言ったもんを今更引っ込められんので、
無理矢理にでも彼の手に¥100ライターを握らせたのだが、
への字になった眉毛そのままに
「テンキュ」「シュボッ」
あぁ受け取ったらその後はもう遠慮とかいいのね。
因みに彼、カフェいる癖にグラスもカップも持たずにショッポだけ黙々と吸ってた。
店出る際に「では」と挨拶すると、紫煙をくゆらせながら流し目で
「あいよ」
みたいな片手挨拶をされる。
あれだね、日本人のおっさんがやると只々腹立たしい仕草も、
外国人の方がすると絵になるね。
ところで、店出た後にふと思ったんだけれど、
¥100ライター渡そうとした時に何故あんなに遠慮されたのか不思議でしたが、
ワタシが使ってたジッポで灯点けたかったんじゃなかろうかと。
遠慮じゃなくてアピールだったのに、
ワタシャ気付かずにハリボテの笑顔で¥100ライターをごり押ししてたのかもしれない。
そんな事思いつつ、煙草に火を点けるのである。
]]>夏場になると必ず現れるのが
ロールシャッハおじさん。
どこでっていうかいつ買い求めて、
何年着古してるんだって位のペランペラン
最早50デニールのタイツくらいタイニーになった薄紫のTシャツを身につけ、
片手にスポニチ、頭にはスポルディングのベージュのツイルキャップを浅く被り
肩から下がるヨレヨレの黒い小さいショルダーバッグはMade in China
オフホワイトのチノパンにパンツインしたスタイル
足元にはスポルディングのスニーカー
きっとヨーカドーのワゴンで投売りされていたであろう。
どうだ。村上春樹もここまで詳細な描写はしまい。
恥ずかしながら村上春樹読んだ事無いけれど、きっとこんな無駄文は書かん。
ちょっと韻踏んでリリックにしようと無駄に努力した跡を消すのも面倒。
いやそんなおじさん(60〜70代)ね、ペッランペランの薄紫シャツがですよ、
思いっきり汗染みしてて、その模様がいつ見ても
漏れなくロールシャッハテストの柄みたいになってるんです。
ロールシャッハテストってどんなだったか忘れちゃったけど、
あのコウモリの開きの魚拓みたいなイラストですよ。
寝起きのボヤけた頭にそんな高尚なグラフィックTは処理し切れず、
思わずバレないように吹き出しつつ
明日も後退りしながら通勤するのである。
]]>毎年夏になると天の上で蛇口締め忘れた神さま的なヤツが
「おぉっといけねぇいけねぇ」って締め直すまで、
下界では人間どもが右往左往でございますよね。
天気もいいピーカン照りの昼前、
仕事へ赴く為に自宅を出ると、マンションの駐車場に
宅配ご飯サービスみたいな軽自動車が入ってくる。
登場したての頃は「毎日仕出し弁当食ってるようなもんで、味気無さそうだなぁ」
なんて思ってたんですが、
今ではもうきっちり需要と供給が成り立っている訳で、
ワタシのような外野がヤンヤ言う事じゃないと。
むしろいつの日かお世話になる可能性が大であると思っています。
まぁそんな宅配ご飯サービスの車のナンバープレートのヘリにですね、
「So you wanna FAKE?」
っていうステッカーが貼ってあってですね。
配膳しているのはちゃんと栄養考えて美味しいご飯だと思うんですよ、
でも若造の頃の自分の考えが頭をもたげまして。
「オメェらこんな宅配サービスの飯を有り難がってるが、ホンモノの家庭の味じゃない、
偽物の味がいいのか」
って運転手が言うとるんじゃないかと。
随分とパンクな営業車だなぁなんて思っちゃいました。
重ねて言うけれど、今ではもう宅配ご飯サービスは社会になくてはならんし、
配膳してるご飯もちゃんと「おふくろの味」再現してると思いますよ。
おじさんになると角が立たんように言い訳が多くなる。
そうしないとスイスイ泳げないからね、社会。
嫌だった筈だけど、そっちの方が楽だって身をもって知ったから、
こういう生き方で良いんだと思いますよおじさんは。
先日ブチ凹みましたが、一夜ちゃんと凹んで寝ると幾分スッキリしておりまして。
また日記代わりの感じで続けていければと思っております。
]]>短い期間しか付き合っていないのに、いつのまにか物凄く好きになっていた。
人間の感情が移ろいやすいのは知っているから、
この感情が永遠だとは思わないし、
いずれ辛くなくなると思っているが、
今は全然自信が無い。
今すぐにでも元彼女に連絡して、思いの丈をぶつけてしまいたくなる。
でもそれは相手にとっても、もちろん自分にとってもロクな事が無い。
こんなに引きずる性格だったのかと我ながら女々しいが、これが本性なのだろう。
大人だから取り乱すことはないけど、静かに絶望している感覚がある。
もはや取り戻せない過去と、実現するかもしれなかった未来、
両方に絶望している。
地べた這って息してるような自分と、楽しそうに新しい恋をしている元彼女を比較しているわけではないが、
知らん男の隣であの笑顔をしているのを見てしまうと、
何もかもがどうでもよくなってしまいそうになる。
少しはスッキリするかと思って、最早誰も見ていないここに吐き出してはみたが、
状況は何も変わらない。(そらそうだ)
いつかこれを読み返して懐かしいなぁなんて思えるんだろうか。
思えたらいいなぁ。
自分に自信が無いから、相手に自分の価値観を委託しすぎるのだ。
だから振られたら自己否定に走る。
どうあがいても自己否定からは逃げられない。
それは置いておいて、新しい脳みそで生きていくしかない。
途方に暮れた自分を放って、鍵をかけてしまっておくのだ。
楽しいと思える事、夢中になれる事をいっぱいやっていくのだ。
そうしないと押し潰されて息も出来なくなる。
こんなのでも生きてはいたいから、
とりあえず明日も地べた這いながら息だけはしていくのだ。
]]>元来、人と楽しく会話するスキルが著しく低いので、
誰かと会話する時に話のネタがなくなって黙り込んでしまう事がよくある。
「沈黙を気にしない間柄が本当の関係だ」
なんて言葉もあるし、
それを言い訳に会話を発展させようという努力を怠っている自分が悪いのだが、
人間だものコミニュケーションが取れないのはやっぱり居心地が悪い。
SNSを見ていると、その人にあった時に話のネタになる事がもう既に公開されているし、
それをわざわざ「こないだインスタに載ってたあれさ」
なんて話し始めるのも、
なんだかその人に興味津々みたいで気恥ずかしい。
それに、アップロードする方は受け手の事を考えていない事が多いから、
見ない方が良かった事も見てしまったりする。
精神衛生上よろしくない。メリットよりもデメリットの方が、ワタシには大きいのだ。
それでもスマホにSNSアプリが入っているのは、
そうやって現代にしがみついて生きていく事を是としているからなんだろう。
カッコ悪くて笑える。
LINEなんかも無い方が有難い。
手軽に連絡出来るから、本来なら対面して話すべき事でも
自分へのハードルを下げる為にLINEで送ってしまいそうになる。
やられるのも最悪だけど、自分がやっている、もしくはやろうとしてると気付いた瞬間が
もうホントに凹む。
もっと色々取っ払って、鼻毛出てても気にしないレベルで自由に生きたいものである。
]]>何の事はない、仕事とプライベートを分けた時の
プライベートが空虚なせいだ。
学生時代はその線引きは曖昧だった。
大学へ行って講義を受ける事も、
仲間と連れ立って、或いは1人でバイトする事も、
気が合う仲間と居酒屋へ繰り出す事も、
何も無い日でただぼんやりする事も、
全ては「日常」という同一線上での出来事で、
ただ同じ割合で人生の時間を過ごしている奴らが大半だったから、
何も気にせずにいられた。
おじさんになってふと気付くと、自分だけがその線上から浮上出来ずに、
周囲は仕事や家庭といういくつも上のステージで
眩しげな生活をしているように見える。
隣の芝生は青いというが、経験したことの無い世界の住人は
こちらから見ていると随分ハイレベルに見える。
そしてそれが同年代における標準として社会性を得ている事を考えると、
未だに十数年も同じような生活をしている自分が
何か沈みも浮きもしない沼にはまり込んでいるような気がして、
ついつい下を向いてしまう。
先日、仕事先の同僚がたまたま駅前で私を見かけたそうなのだが、
飲み会帰りで少しは明るい顔してる自覚があった筈なのに、
その人から見たらだいぶ暗い表情だったそうだ。
そんな話を当人からこれまた飲みの席で聞き、
その日もやっぱりあまり気が乗らずにただ惰性で飲んでいるような感じだった私は
(同席してくれてる人に失礼だが)
一気に落ち込んでしまって、上手く返せなかった。
そう、ついこの間まではそういうイジりを笑い飛ばしていられたはずなのに、
ここ最近はモロにダメージを喰らってしまう。
感情が丸裸になっていて、でも疲れ切っているからリアクション出来ず、
ただただ消耗して削られているだけの様相。
涙でも出せばスッキリするかと思ったが、そんな事も無く。
というかこんなクソみたいな暗い文書しか書けなくなっているのが地味に嫌だ。
も少しポップで明るいのにしよう。
無理でもやってかないと、人生上向きにするチャンスが無い。
相変わらず仕事のときだけは明るくいられている筈なので、明日も頑張っていきやしょい。
]]>ここ数年は特にどーでも良い事書いたりしてた訳で、
当初思っていた
「お爺になってから卒業アルバム的に読み返して1人楽しむ」
みたいな目標が達成出来るのか怪しい。
ここ数年、2017年から19年にかけては本当にロクな事がない。
自分の不出来のせいで恋人関係はどんどん破綻し、
上手くいくかと思ったら背伸びし過ぎて失敗し、
それまでの交友関係もぶち壊し。
今度こそと思ったら、楽をし過ぎてあちらの我慢に気付けず失敗し。
何だかもう申し訳無いことこの上ない。
仕事のストレスもあって右耳が聴こえなくなり、
じゃあ仕事に集中出来てるのかというとそうでもなく、
今まで何とか回し続けていた良いサイクルが急に空回りして
何もかもがクソ面白くも無い。
「クソ面白くも無い」って、朝家出る時と夜家の前に立った時
必ず呟いてしまっている。
最近心から楽しいと思ったのは、学生時代の仲間とスタジオ入ったりライヴ出たりした時くらいだ。
行動は言葉から、言葉は思考からって言うけれど、
悪いサイクルにハマっている気がする。
若い頃はこういう誰の目にも触れる可能性がある所に
グダグダとマイナスを垂れ流してるヤツが大嫌いだったし、
自分がそんな事するなんて毛ほども思っていなかったけれど、
それでも書いちゃってるって事は今相当どん詰まりなんだろうなぁ。
起死回生を求めているんだけど、
おじさんの日々にそんな便利なモノは転がってはいない。
厄年ではないけど、そうだと思ってジィッとしてやり過ごす腹積もりで。
ただじわじわと主に仕事面から変革していかねば。
来年の今頃はもっと楽しい人生であるように。
]]>みたいな話を未だに憶えていて、
最近は1人で飲みに行く焼きとん屋で必ず割箸使うので見るのだが、
「あぁーこんなもんに一喜一憂していたんだな」
みたいな事を、昔の自分を思い出してちょっとセンチになりながら
黒ホッピーでレバ串を流し込む。
もう35にもなるのに、この体たらくな人生である。
たりないものだらけで四方の壁がジワリジワリと迫ってくる感覚。
飲んだところで爽やかに帰れず、
帰宅して無言で枕を殴りつけ、あくる日には
声を殺して大号泣しながらやっぱり枕を殴りつけるのである。
おかげでこんなクソみたいな文章を一年ぶりに垂れ流してるのだが、
来年の今頃はもう少しマシなこと言えてるんだろうか。期待はあまりしていない。
ひとまず右耳の聴力が無くなって、右左のステレオに振られて流れていた曲が
今まで通りに聴けなくなったことが
誰にも言えてない本当にショックな事である事を記して
帰宅仕事に戻る。
]]>切らしてたのを思い出して煙草を買いに町へ出る。
彼岸過ぎの田舎町は平和そのもので、
ブランコで遊ぶ子供が公園でキャッキャ言ってたり。
南北を台風で挟まれてる現実はなんだか実感出来ない。
小高いところにあるコンビニに入る。
店内も外と同じく平和そのもので、
数少ないコンビニなんだからもう少し混んでていいんじゃないかと
余計な心配をしてしまう。
「5番の上の黄色い煙草ください」
このコンビニ、ワタシが吸ってる煙草にナンバリングされてないので、
いつもこんな頼み方する。
会計の段になって、今月から値上げしてた事を思い出し、
別に何をミスったわけでもないのに、バツの悪い苦笑いをしてしまう。
それを見た店員さんが「ワタシが若い頃は二百円くらいだったのにねぇ」なんて気遣ってくれるから、
こっちは更に苦笑いするしかない。
別に良いのよ値上げしても。人様にご迷惑お掛けしてる分、迷惑料みたいなもん。
でもビックリするよね実際。
ちょっとした悪夢でも見てる気分で店を出る。
これを機に銘柄変えようか、でもどうせ戻すんだからいいか。
そんな事考えながらまた歩く。
2919年だか20年だかの3月にマヤ暦が終わるから、
そこで世界は終わるんだって聞いたけど、
今のところ世界は良いも悪いもどうでもいいも引っくるめて、
ダイヤモンドとゴミとプラスチック満載のメリーゴーランドみたいに回ってる。
でも、せっかく知り合いに子供産まれたり育ったりして幸せそうだし、
今終わるのは嫌だなぁってちょっと思いながら、
値上がりした煙草に火をつけてみる。
なんも味変わんねぇ。
]]>30を超えたあたりから、いよいよ日々が消化試合の様相を呈してきて、
何か感じたり思ったりした事もインスタントに処理されて
寝る頃には何も残らずに意識を手放すような状態である。
人生標準的に流れたとして、残り約4,50年程あると思うと
意外と残り時間多い気はするんだけれども、これまで積み重ねた物を
少しづつ忘れていっている気がする。
暫く合っていない知り合いの顔だの名前だの、
ちっちゃい頃の他愛もない生活の思い出とか。
これを読んでいる人がいるならば少し試してみてほしいのだけど、
小学生時代のある日一日を漠然と思い出して、
何か習慣的な思い出だったり、無意識に影響を受けた事なんかを思い出せるだろうか。
なんだか未来を考えるよりも過去を思い出す事が多い人生な気がするし、
大学卒業してからクソつまらん文章しか書けなくなった気がする。
最近公開してるプーさんの実写版でも観に行ったほうがいいのかも。
そういやプーさんがヌイグルミだっていうの、つい最近まで知らなかった。
クリストファーロビンの妄想ワールドの話なのはなんとなく知ってたけど、
ベースは生命体なんだと思っていた。
アイツ中身ワタなんだね。
]]>休日に一切外出ない生活が続いている。
イカン。なんかわかんないけどイカン。
いや別に悪くは無いんだろうきっと。
駆けずり回りの仕事で疲労してるんだし、休日は家でダッラーっとしてても。
だがしかし、なんか損した気分になるのも事実。
「だがしかし」って打つと「駄菓子菓子」って予測変換されるんですが、
ナニコレ。携帯会社のダジャレ?
ともあれ、出不精がこじれまくっているのか、
外出するんだったらそれこそ終電まで外います!位の予定が無いと
重い腰が上がらん自分がいるので、
とりあえず鉛筆買いにブラッと出て、タバコ吸って帰ってくる位でもいいから外出ないとね。
幸い接客業の休日は皆さんの平日なので、
色んなところが軒並み空いてる訳です。
電車乗ってちょっと遠出とかもいいかもしれぬ。
下半期の目標。そとでる。
ところで鉛筆って使わなくなりましたね。
書いてる最中のあの何とも言えない匂い、結構好きです。
バカなりに勉強してる気分になれた気がしてた。成績という結果は伴わずですが。
大人になると何故だかボールペンばっかりで、
子供の頃は勉強教えてくれる大人がノートに色々書いてくれるのが
ボールペンだったのがなんか気に食わなくて。
たぶんあれ、消しゴムで消せないからでしょうね。
自分のモノであるノートに、他人が消せない何かを刻んでくのが癪だったのでしょう。
なんか自分の今までの人生を省みると、
ノートにボールペンで書かれるの嫌がってた子供が、
今度は自分の生活に爪痕残されるの嫌がってるようで、
なんか俺って成長してないんだなぁってふと思います。
ちょっとした反省も踏まえつつ、夜が明けたら何かしに外出る!とりあえず!
]]>