• 2021.08.27 Friday
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小学生のころから高校生まで、「家」という枠の中でフンガフンガと鼻息を荒くし
大学生のころは「金」という枠の中でモッサモサし
社会人になってからは「時間」という枠の中でカリカリし
自由人となった今はなんだか縁側で茶をすするジジイのような心境です。

とはいえ、縁側の垣根向こうには恐ろしい断崖絶壁が控えており、
日に日にジジイに向かって迫ってきている感じです。
ボロリボロリと。

ここのところ、ブログを書こうとすると前にも増してクッダラネェ事ばかりを書き連ねるので
投稿せずに全選択+デリートで宇宙の理としていたのですが、
書けない時には「書けない」ということを書くという、大変情けない悪あがきが残っているのです。

昔ポケモンあったじゃない、あれの悪あがきみたいな。技ポイントなくなっちゃって
捨て身の悪あがきをする手持ちのモンスターたち。
何故かあの姿にちょっと共感してしまいそうになりつつ、
こんなシンパシーは犬も食わんぞと自分を戒めておりましたが、
だって想像してごらんなさいな。
眉間に室井管理官並みの皺を寄せて歯をくいしばり、ミョウチキリンな雄叫びと共に
ミュウに突進していくカモネギ。
外人だったら10人に3人くらいは「Oh!!カミカゼ!!」とか言って
キャッキャキャッキャ喜ぶぞおそらく。
あ、いま外人って言っちゃダメなのよね。外国人て言わないといけないのよね。

冒頭に申し上げたとおり、縁側のジジイ状態のワタクシですが、
縁側のジジイとていつまでも置物のごとくにこやかに茶ばかりすすっておりません。
ジジイかてピンチになれば一念発起。迫りくる断崖絶壁をものともせず、
眉間に皺寄せて憤怒の表情。そしてあわや落下寸前というところで
ジジイは羽ばたくのです。

翔べ!ジジイ!!





 以前このブログで紹介した「Minoltina-P」というカメラで
撮影した自分です。
 先日現像が終わって、2眼レフとこのMinoltinaで撮った
写真が出てきたのですが、半分以上がロクに撮影できてなかった
ものでした。

 2眼レフの方はピントが合わないのが多くて、
やっぱりデジタルのAFに慣れてしまっているから
難しいんだな、と。光量も十分じゃないのが多くて
勉強せねばならないな、と感じました。
 Minoltinaの方は、やっぱり光度計がイカれてるらしく、
暗い写真やブレてしまった写真が数多くありました。

 カメラって難しい。自分の思った通りの絵が撮れるまで
あとどれくらいかかるんでしょうかね。。。


 さて、タイトルで自己紹介と書きましたが、
そういえばこのブログを始めるにあたって
自分の情報を全然晒していなかったな、と思いまして
ここで簡単に自己紹介をしたいと思います。

 今現在、21歳水瓶座の男です。B型です。
と書いて、「あぁ、そういうヤツか」なんて解る人間も
いる事はいるんでしょう。超能力みたいに
血液型と星座と年齢と性別で大体の性格が解ってしまうような。
しかしまぁ、あながちその人たちの思いは間違っては居ません。

 ガサツで面倒くさがりで、女々しい男です。
熱中できる事には結構な力を発揮しますが、
それ以外の事は人並み以下の成績でしか対応できません。
物事に対する姿勢がそんな感じなので、
えらく自己中心的な所があります。
自分で長所と言えるところがあるとすれば、
前述した「集中した時のヤル気」でしょうか。
かといって、バリバリ仕事をこなすタイプでもないので、
どちらかというと確かな腕は持っているけれど、気楽な職人、
といったところなのでしょう。

 で、そんな男がこのブログを書いています。
これからもよろしくお願いします。


 しがらみというのは、そこにどっぷり浸かっていると中々気がつかないものである。高校を卒業して、自分を縛っていた何がしかの感覚が無くなったのを感じた。思うに、学生というのは制服によって守られた存在である。様々な特権を持っていて、容易な事では罰せられない。せいぜい本人が嫌な思いをするだけである。が、その鎧とも言うべき制服は、確かに脱げない鎧なのだろう。そんな子供じみた扱いを受けていても、中身はどんどん成長している。次第に窮屈になってくる鎧を卒業と同時に脱ぎ捨てた時に、それまで自分が身に着けていた色々なものがどう見えるのか。

 僕の場合は酷く汚らしいものに見えた。だから、大学に入って、FSAに入った事っていうのは、ある意味それまでの自分を壊してみたかったのかもしれない。

 そして、その無意識の願いは叶ってしまった。

 1年の最初の方は、まだ高校生体質が抜けず、「飲み?また飲むの?どんだけ酒好きなんだよ。音楽やれよ。」とか思っていたのだが、大学1年の文化祭が終わった時、それまでの受身の態勢が少し変わった。

 自ら酒を飲むなんて、高校生の頃からは想像できなかった。煙草だって、陸上部でもあった僕は絶対に吸うまいと思っていたのが、いつのまにか吸っている。

 とかく色んな意味で人生を変えられてしまったのだ、このサークルに。音楽に対する姿勢も大分変わっていった。やりたい時にやる。やる気が出ない時はやらない。やる気が無いときに無理にやっても、イイ結果は出せない。

 練習と本番は違う。練習で出来る事の3割でも本番で出せたのなら凄いことだ。練習っていうのは本番の為にあるが、重きを置くべきは本番の方である。これは文化祭でやったCOCOBATで思った事。

 そして、音楽そのものに対する考え方。人を救える音楽なんてものは存在しないっていう事を思い知った。じゃ無きゃパーティーソングなんてものは生まれないだろう。音楽で救われるのは自分だけ。。。



 様々な物事に対する考え方を柔軟に持たせてくれたのがFSAというサークルであり、そこにいる人たちだったワケだ。

 さて、これからは今現在の話になっていってしまうので、「Talkin' about Me」はこれでオシマイ。

 また普通の記事に戻ります。。。



  ----おわり----


 進路相談というのは、どこの高校にもあるのだろう。生徒と親の意向を汲み取って、教師がアドヴァイスするやつ。

 僕は、大学では無くて音楽の専門学校に行きたかった。MUSEという、東京都の認可が下りている学校で、就職にも少しは有利だし、何よりスタジオミュージシャンで活躍している人が多いのだ。人のコネクションで、自分がやりたい職業につけるかもしれない。因みにB’Zの松本もMUSEの卒業生だ。

 しかし、教師と親は猛反対。芸術学部に行こうと思っても猛反対。「お前がミュージシャンになったら、俺は東京ドームまで観にいってやるけれども、それは絶対にありえない。」と断言する教師。

 悔しさのあまり、「そうですか。じゃあ俺はミュージシャンになって、先生の家にチケットを送りつけますから、来てくださいね。」と憎まれ口を叩いたのだが、結局、日大の文理学部に進む事になった。

 yuも同じ大学に進む事になったので、せめて音楽位はやってやろうじゃないか、と、新歓の勧誘時期に多くの音楽サークルを回った。飲みには一つとして行かなかったが。

 色んなサークルがあった。入りたいと思うのもあれば、ココは嫌だな、と思うのもある。その中で、It's Onというサークルがあった。説明を聞いていても、中々面白そうなところだ。あ、ここにしようかしらんと思って、「ロックやってる人ってどんくらいいますか?」と訊いてみたところ

 「あ、ロックだったらね、あの〜・・・あそこ、あの金髪でロンゲの人がいるブースあるじゃない、FSAっていうんだけど、あそこならロック好きが多いよ。」

 知っていた。あそこがFSAのブースだっていうのは知っていたのだが、その金髪ロンゲの兄ちゃんが「近づくなオーラ」をグワングワン出しながら仁王立ちで煙草を吸っているのだ。行きたくても行けない。

 しかし、人生はチャレンジである。意を決してFSAのブースに行ってみた。

 座っていたのはT島さん。今ではおなじみのマシンガントークで、面白い話をバリバリと喋る。しかし金髪ロンゲの兄さんは喋らない。俺がノートに連絡先やら好きな音楽やら書くのをジーっと見ている。仁王立ちで。

 しかし、新歓ライヴを見て、「あ、ココにしよう!」と思った。あの金髪の兄さんもかなりギターが巧い!(てっぺーさんだったんだけど。)何よりその時君臨していたFSA2大ドラマー、I氏とJ氏。圧倒された。何だこの人達は。。。


 そして、このFSAというサークルで、高校からの色々なしがらみを断ち切った新しい音楽生活が始まるのだ。。。



----続く----


 そして人生初のライヴ。オリジナル2曲と、ブルーハーツ3曲くらいだったか。物凄くチンケなシステムで、児童館の体育館で行った。

 準備の段階から色々な手伝いとかもしていたから、次第にヤル気があがってきたのはいいんだが、緊張は抑え切れない。いくら相手がガキンチョだといっても、演奏中に帰られたりしたら立ち直れないかもしれない。

 しかし、もうココまで来てしまったからには、頑張ってやってみるしかないのだろう。

 ステージに早く立ちたいという感情と、とっとと帰りたいという感情が入り混じって気持ち悪い表情になっていたその時、出番が来た。

 ここで色々な事を書ければいいのだけど、正直全然憶えていない。リンダリンダでガキンチョが飛び跳ねまくってくれて、少し子供が好きになったくらいである。人生初のライヴは、小さな児童館の小さなライヴで、でも緊張しまくりで終わったのだ。

 しかし、終わったからといって油断してはいられない。翌日には友人との企画ライヴだ。

 本八幡にある「音楽館」というスタジオのライブスペースを借りてやったのだが、弾き語りの友人が前座で見事に場を白けさせてくれたので、物凄くやり易かった。

 下手糞な演奏を1時間くらい聞かせていたのだと思う。当時はバリバリのパンク少年だったから、しっかり演奏しり事よりも、どれだけアクションを見せられるかが大事だった。家でパンクジャンプの練習とかしていた恥ずかしい男の子だったのだ。

 普段、学校では物静かで寝てばっかの俺が、ライヴではやたら動きまくっているのだから、当然クラスメイトは面白がってワーワー言ってくれる。調子に乗ってどんどん暴れる。そしてどんどん弾けなくなる。

 しかし、演奏が酷いことに気がつくのは客のほうが早い。「あれ?なんか静かだなぁ」と思ってみると、自分が物凄い悪質な音を出しているのに気がつくのだ。

 反省した。ライブが終わった後、その頃は酒なんか一滴も飲まなかった少年はすごすごと帰宅して、すぐに寝てしまった。。。


 この後、STREET GANGで2回程ライヴをするのだが、最後のライブの後に、I君と俺の関係が何だか気まずくなってきた。練習が大事じゃないかと思い始めた俺に対して、I君は「練習なんか軟弱なヤツのする事さね」とも言わんばかりの下手っぷり。

 次第にI君が俺を煙たく思うようになったらしく、俺はついにT君からクビ宣告を受ける。

 人生初のバンドからクビを言い渡されたのだから、もう今後は無いだろうなぁと思っていた。一応軽音楽系の部活にいたのだが、顧問がどうしようもない暴力教師だったので、なんだかヤル気が出なかったのだ。

 しかし、一個上(?)の世代の先輩達が組んでいたバンド「PENTACKS」というのがあったのだが、それを観て、またバンドを組みたいと思うようになった。

 PENTACKSはメロコアの部類に入ると思うのだが、本八幡を中心に活動していて、何回かライヴを観に行っていたのだ。まだまだ未熟だった俺にとっては、PENTACKSの音楽は凄いものだった。今でも実際凄いと思うし、まだたまに聴いたりしている。

 もう一度バンドが組みたい、そう思ったものの、前の様なイザコザが起きるのが面倒でもあったので、暫くは固定されたメンバーじゃない奴らで学校の文化祭に出たりしていた。

 高校へのエスカレーター進学を、化学の追試を何とか乗り切ったお陰でギリギリ通った俺は、T君とyuの3人でまたコピーをやりだした。

 I君はその頃、ワンマン体制だったSTREET GANGを崩壊させてしまって、いわゆるロックの勉強をしていた。CD買い漁って、片っ端から聴いていたのだ。I君とは復縁して、今でもたまに連絡を取ったりするのだが、やっぱり沢山の曲を知っている。

 で、T君もI君に愛想が尽きたらしく、また一人になっていたので、部活のメンバーだった3人は、文化祭目的のバンドを組み始めることになる。

 初期のドラゴンアッシュや、中期マッドカプセルマーケッツ。B−DASHやらスネイルランプなど、やっぱりパンクだったのだけれど、以前のようなイザコザが無いだけマシだった。

 バンド名は、文化祭直前に「EDスクリュー」に決まった。「はじめの一歩」という漫画に出てくる伊達英二(?)というボクサーの得意技「コークスクリュー」にあやかってみたのだが、「エイジ・ダテ スクリュー」って。今考えたら物凄く恥ずかしいです。

 文化祭はやっぱりつまらない。俺も一回だけ実行委員をやってみたのだが、それでもつまらない。

 特に俺の代は、次の年に開校何周年記念の文化祭が控えているとかで、教師側の協力もすずめの涙ほどだった。

 高校生という立場の力なさに何だか悔しくて、精一杯やってみたものの、やはり成功しなかったのだ。

 最終日、実行委員は教師がいる前で悔し涙を流し、教師は今更になって「先生が悪かった!!」

 日本大学第一中学校・高等学校。俺は今でも大っ嫌いです。


 しかし、そんなクソみたいな半義務教育時代も終わりを告げて、新しい「大学」という場所に進める日がきたのだ。。。


----続く---- 


 人生初のバンドを組んだのだが、練習場所が見当たらない。中学生だから大して金は持っていないので、巷にあふれているリハーサルスタジオを使うのはちょっと厳しい。

 苦労して探したのだが、I君がイイのを見つけてきた。

 堀留町児童会館

 なんと無料。

 メンバー全員で早速ワラワラと押しかけてみると、機材はたいして良くないのだが(バスドラの音だけは絶品だった)体育館で卓球・バスケ諸々が可能だし、図書館には「るろうに剣心」だとか「ダイの大冒険」だとかが揃っている。

 て、天国ではないか!!


 しかし、一番大事な事をすっかり忘れていた。そう、ここは「児童館」

 当然子供サマがワンサカいらっしゃる。

 でね、僕チビジャリどもが嫌いなんですよ。

 そんな事はお構いなしに、ガキどもは中学生のお兄さん達に無邪気に(本気で)殴りかかるんですね。

 死んでしまえと思った。けどガキ死んだらスタジオも自動的に使えないんです。仕方ないから我慢しました。。。


 そんなこんなで、初めてのバンドの練習がスタートするワケです。最初は固定したジャンルなんかなくて、黒夢だったり、ハイスタンダードだったり、サッズだったりを混ぜこぜでやっていたのですが、そのうちハイスタンダードに集中するようになりました。

 しかし、この世代のバンドにありがちなメンバー交代やら何やら。yu君はバンドを辞める事になります。人間って気まずい思い出とかは忘れるものらしくて、僕がyu君にクビを言い渡した身なんですが、もう詳しい事は全く覚えていません。ただ、最後までI君とT君を「yuをクビにさせるのはやめよう」という説得をしていたのも僕だったんですが。何でクビ宣告も僕がやったんでしょうかね・・・。

 当時のyu君は(も)何か変な人で、腕を骨折しても練習に来てドラム叩いてみたりしていました。何か折角縁ができたんだから、バンドメンバーじゃなくなっても友達ではいたいなぁ、と思っていたのがいつのまにやら、今では腐れ縁ですね。

 さて、3ピースになった新生STREET GANG。はじめにコピーしたのはTHE BLUE HEARTSの「夢」「僕の右手」「リンダリンダ」でした。この頃から、「音楽を職業にできたらいいなぁ」なんて考えが首をもたげてきます。だからリハが上手くいかないと不機嫌になったり、飯時以外はず〜っとギターにかじりついてたり。勉強なんてもちろんしないから、成績はどんどん下がっていきました。

 バンドの方向も段々とオリジナルだけになってきて、そしてついに練習場所であった堀留児童館で、ついに初ライブを行う事になったのです!しかもその翌日に友達(引き語り)と自主開催のライブも控えていました。

 まずは大嫌いなガキンチョどもが、どれ位ノってくれるかを確かめよう!と、そんな感じでステージに立っワケです・・・。


  ----続く----

 昨日の続き。っつーかもうアレだ。カテゴリが英語のヤツは「Talkin' about Me」です。


 さて、ストラトキャスタータイプの安ギターを手に入れた僕。I君はアイバニーズの入門セットだった。2人でI君の家に行って、セットに付いてきた安アンプに安ケーブルで安ギターを繋いで、ジャラ〜ンとやってみた。。。

 物凄い安っちい音が出た。のだと思う。当時の僕達はそんな音の違いなんてわからないから、ヒャイヒャイ言って喜んだ。

 そしてエレキギターを買ったら、俄然ヤル気が倍増されてきたのだ。一時期、3ピースにしてしまえと、僕がドラムでギターとベースを他で探そうなんて話も出て、3ヶ月位はドラムを練習していたのだが、これで晴れてギタリストだ。

 そしてその頃、僕はyuに出会ったのだ。。。彼は校内では「不良」として有名だった。それも昨今の大人数で群れる陰気な不良ではなく、一匹狼タイプの不良である。

 そんな彼に、ある日突然廊下で呼び止められた。


 ギターやってんだって?

 今度チョーキングっつーの教えてくれよ。

 あ、そうそう、○○○駅の石橋楽器ってドコにあんの?

 へぇ、そっか。ありがとう。


 僕は終始緊張していた。平静を装っていたが、無理矢理にタメ語使っているようなものだった。(しかもこの時教えた石橋楽器の場所が全然違くて、今でもネタにされてしまう)

 しかし、不良で名高いyuも、蓋を開けてみれば普通の中学生だった。帰り道も途中まで一緒だったし、いつしか仲良くなっていたのだ。


 そしてI君も座して機を待つだけではなかった。同じ部活のT君を連れてきたのだ。

 このブログでもたまに出てくるT君。その頃は陸上の短距離の選手で、とても爽やかな少年だった。「リズム感はイイ方なんで!ドラムやります!」と体育会系のノリで挨拶する(タメなのに敬語)彼の目には、炎が宿っていたとかいないとか。。。

 何はともあれ、これでメンバーが揃ったことになる。

 ギター・ヴォーカル:I君
 ギター・コーラス :僕
 ベース・コーラス :yu
 ドラム・コーラス :T君

 バンド名は散々提案した挙句、「STREET GANG」となった。
 上記メンバーは、その第1段階である。。。



  ----続く----


 前回の「Talkin' about Me」の続き。

 ペグが壊れてしまっては弾きたいものも弾けない。さて、どうしたものか。

 店に持って行けば修理はしてくれるのだろうが、あんまりお金をかけたくなかった。そこで僕は新品のペグを取り寄せて、自力で直す事にする。ここからギターを自分で色々いじるのが始まった。

 当然ながらネジ締めればいいだけの修理は失敗する筈もなく、また僕はジャランジャランと近所迷惑な下手糞ギターを掻き鳴らしていたのだった。


 そんなある日、前回にも出てきたI君が「バンドを組もう」と言い出した。なんとまぁ、中学2年でバンドか!モテてしまうではないか!!なんて事は考えなかったけれども(ちょっとしか)、一人で演奏するのにも飽きていた僕は二つ返事でOKした。

 しかし、メンバーが集まらない。I君がギターヴォーカルで、僕がサイドギターを弾くことは決まっているのだが、ベースとドラムがいない。色んな人に声をかけてみるものの、口約束だけで行動に移らないのだった。それはそうである。なんたってエレキじゃなくてクラシックギターだし、I君に至ってはギターさえ持っていない。毎日昼休みに音楽準備室に潜り込んで、何台もあるクラシックギターから状態がイイのを選んでI君と2人で練習していたのだ。

 しかし、そんな日も終わりを告げる。エレキギターを手に入れるときが来たのだ!!



 池袋・ミュージックランドKEY。レジェンドのST−X入門セット。¥19800。その日は雨が降っていた。この日から、僕の中学〜高校のバンド時代が始まる。

    ----続く----


 前回の「Talki'n about Me」の続きを。。。


 さて、そんなブレーカーが落ちつつも繰り広げられた2家族集まっての焼肉パーティーだったんですが、宴もたけなわな頃、親戚の叔母さんが僕を呼んだのです。

 「おーい、○○○。ちょっと来な」

 叔母さんは凄くひょうきんな人柄で、ブレーカーが落ちても肉を焼きすぎてオコゲが付きまくっても大口開けて笑う人です。叔母さんに付いて行くと、何やら大きな黒いケースを渡されました。

 「開けてみな。」

 何か勉強道具かなぁ・・・と思いながらケースを開けてみると。。。

 ケースの中身はオンボロのクラシックギターでした。叔母さんは昔、クラシックギターを習っていた事があったそうで、これをもっていたのだそうです。しかし、何故僕にくれるのかが解らない。

 「これ、僕にくれるんですか。」

 と訊いてみると

 「当たり前よ。こないだウチ来た時に物珍しそうに触ってたじゃない。」

 あぁ、思い出した。そう、正月らへんに叔母さんの家に遊びに行った時、このギターが置いてあったのだ。いや、このギターじゃない。あの時はアコースティックギターだったのだが・・・。

 しかし、何も知識が無いのにギターの弾き方なんて解るわけがない。が、貰えるモンは貰っておこうかと、微妙な気持ちながら頂いておいた。


 翌日、ケースからギターを引っ張り出してよく見てみると、ホコリだらけの傷だらけ。相当昔に使っていたものらしい。取り敢えずティッシュで汚れを落として、緊張しながらジャラ〜ンとやってみた。

 とても気持ち悪い響きが僕の部屋に響き渡った。

 しかし、僕はギターはこういうものなんだと思ったのだ。何のためにペグがあるかなんて、考えもしなかった。ジャラ〜ンを何回か繰り返して満足すると、僕はその日買ってきたばかりの「BANDやろうぜ!」という雑誌を広げた。

 欲を言えばGLAYのHISASHIが使っている様なギターが欲しかった(後にエレクトリックギターという名前だというのを知る)のだが、それは欲張りすぎである。仕方ないから、何となく簡単そうな曲を取り敢えず練習しようと思って、ページをペラペラとめくっていくと・・・

 「コード表」という見開きのページを発見。びっしりと書かれたコード達。わけのわからない英単語が付いたコード名もある。何だ?「D suss4」って何なんだ?

 次のページからは、歌詞の上に読み仮名の様にコードがふってあるページがあった。なるほど、これで弾き語りができるのか。

 記念すべき人生初のコピー曲。その大切な大切な1曲に僕が選んだのは



 「全部だきしめて」:Kinki Kids



 ・・・当時「LOVE LOVE 愛してる」という番組で、吉田拓郎とキンキ・キッズがコラボレーションしていたのだ。そして、この曲をテレビで演奏していたのだ。

 まだ何も知らない少年「つん」は、何の疑念も持たずにこの恥ずかしい曲を一生懸命弾き語った。コード表のページと、歌詞のページを行ったり来たりしながら弾き語った。

 最初っから歌と演奏を同時にやろうなんざ無理がありすぎる。すぐに演奏に集中するようになって来た。ギター経験者が大抵まず最初にブチ当たるのが「F」コードというウルバンバの絶壁登山である。しかし、僕は奇跡的にこの試練を苦もなく乗り越えた。しかし、次のドーヴァー海峡である「B」コードには苦戦を強いられた。

 この頃には、学校でギターをやっている友人もできてくる。名前を仮にI君としよう。I君はギターを持っていなかったが、音楽にかなりの興味を持っていた。だから、僕が「B」のコードで苦戦している時も、親身になって励ましてくれたものだ。


 しかし、どうも響きがまだ気持ち悪い。CDやラジオに合わせて弾いてみても何かおかしい。ついにはヴァイオリン経験者の姉が「ウルサイ」とクレームをつける始末。どうしたんだ。僕はギターに向いていないのか。走思っていたある日、違和感を感じつつもジャランジャランと気持ちよくギターを掻き鳴らしていた僕に姉が放った一言

 「あんた、それチューニングしてないでしょ。和音になてないよ。」

 「ちゅーにんぐ」ってなんだ!?新しい技か!?しかし、強がりなあの頃のオイラはこう答えちまったのさ。

 「はァ!?チュゥニングくらいしてあるぜ。いいから女はすっこんでな。」(多少の誇張表現アリ)

 そして、次の日の学校でI君からギターのそれぞれの弦には決まった音程が存在する事、そして、その音程に調節する事を「調弦」もしくは「チューニング」というのだ、という事を教わったのだ。

 帰宅してから、早速I君の友人から借りたチューナーでチューニングしてみる。と、今までの気持ち悪い和音はどこえやら!素晴らしい音が響き渡るではないか!!

 「全部抱きしめて」が弾ける!「I for you」も「you may dream」も「いつか」も弾ける!!そして歌えるじゃないか!!!

 その嬉しさといったらなかった。その頃、引越しをして慣れない環境にチクチクしていた心を癒してくれたのだ。もうこれさえあれば全てバラ色だった。

 しかしそんなある日、大事件がおこる・・・!!

 チューニングという技を憶えた僕は、弦を緩ませては耳でチューニングが出来るように何度もペグをいじっていたのだが、いかんせん古いギターである。ペグの牛骨が耐え切れなくなって、パキリと折れてしまったのだ!

 これではギターが弾けない。どどどどうする!?どうするおれ!??


----続く----

 ブログのカレンダーが4月だけ穴あきだらけなのが酷く目障りなので、結局書いてしまいました。有言不実行。ダサいしクサいし、本当はメガネだし。

 いかん、真面目に書かねば。文章力を上げるんだ。あれ?でも何の為にだろう。作家になりたいワケでもなく、自伝を出版したいワケでもない。ラブレターとか書くような年頃じゃないし(そもそもラブレターに文章力はいらない)

 さて、ココに来て目的が失われてしまいました。どうしましょうかねぇ。。。




 って別にどうもしません。「カッコイイ文章かけた方がカッコいいじゃない」くらいの理由でいいでしょ?ダメ?いいでしょ?いいよね?ってか許せ。許可しろ。

 というワケなので、「モテたい(男にも女にも)」という不純な動機のまま小話でもひとつ。ノンフィクションです。










 ケータイ壊れました。










 以上。小話。

 ここで怒ったらあなたの負けだぁ!って言われたら「グッ」とこらえちゃうアナタがたが大好きだから、もうちょっと話しちゃいます。



 ・・・話すことねーーっ!!(諦めんの早ぇー!!)畜生。何か引き出せ。無い中身を搾り取ってこのブログというテーブルに置け!


 あれは僕が中学2年生の時でした。僕の母には2人の姉妹がいるのですが結構仲がよくて、一番上の姉の家(夫が金持ちだから家がデカイ)に年に4・5回は家族で集まって食事をしていたのです。

 しかし、いつもはその広い家でやる食事会が、当の本人が体調を崩してしまったため、急遽ぼくの家でやる事になったのです。

 当事ぼくの家は埼玉県の三郷市にある4LDKのマンションで、部屋に使えそうなほどの大きさの納戸やらあったものの、とても2つの家族でワイワイやるには狭い家だったのです。

 一応開催はしたものの、ブレーカーは落ちるわ、ホットプレート3台分の煙が家中に充満するわで、散々な食事会だったのです。(楽しかったけれども)

 しかし、そんな貧乏な人間だけの食事会が、僕が始めて「音楽」というものを意識しだした日になったのです・・・!




 という訳で、中学・高校時代の昔のバンドのハナシを不定期で連載していきたいと思います。PCからご覧の方、カテゴリが横文字のヤツがそれです。ちゃんと色んな人が読めるように頑張らないとなぁ。


 上手にできたら、もうたくさん拍手してちょうだいね!!(ポギー司郎みたいなヤツ)

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